注:本文也在高达吧更新


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在正文之前,说些自己个人的话,我不是第一次翻译福田的访谈。我个人对福田的看法理解是,他作为演出家是非常出色的人物(虽然在演出的广度来说有些欠缺,路数偏少),作为商业片的监督也非常的出色。他并不是那种做惊世艺术之作的人物,但非常善于创作那种男女老少都能乐在其中的作品。但是也不妨碍我讨厌他,特别是翻译他的访谈总给我一种非常火大的感觉他绝不是那种好高骛远,而是能从现实出发思考的人。同时他对角色的把握理解也没有根本的问题但他的访谈和他的作品最终比起来(这里基本限定在种命),总有一种差强人意的感觉有种”你明明都知道为什么做成那样“的恨铁不成钢之感

本文翻译如有纰漏,欢迎各位有识之士指教

正文:

没有绝对的正义。《DESTINY》在广义上,是众多人物的视角及想法交织重叠的作品。

我在《DESTINY》想要传达的东西,大概是在真飞鸟身上体现的最多吧

——《SEED》的续集是什么时候开始决定制作的呢?

在播放结束的第二年,也就是2004年,在前往5月召开的静冈模玩秀路上的新干线上,大概是夏季时分吧。从日升的时任社长吉井孝幸那听到了消息。那时候本来是打算用剧场版来给《SEED》收尾的想法,但之后改成了“在电视上播放的续集节目” 。关于续集的制作,我和项目的发起并没有什么关系。我最先确认的事项应该是“参与的工作人员有哪些”这件事。在《SEED》饱尝艰辛后才完成了作品,之后则有“如果当初这么做的话,就不用那般辛苦了”这样的感触。

当听说要制作续集时,比较深刻的感想是“又是战争啊”。我对像我的过去作品《高智能方程式》这样的运动大会风格的类型并无抵触,但换成高达这样有战死者出现的作品类型能否描绘续集,深感不安。

而在这里,就考虑让《DESTINY》以对《SEED》的反向命题(Antithesis)为基础。虽然是直接延续《SEED》结局之后的续集,但想要描绘的世界和价值观都不同。是从对前作的否定出发的构想。地球连合军和ZAFT双方都主张《正确的战争》《正确的政治》,没有谁是单方面的正义。即使是基拉他们也难说是所行之事皆为正确,这就是续作出发点的尝试。

——而正因如此,才在续集将隶属ZAFT的真飞鸟树立成主人公了呢。

没错,在《SEED》最后是将基拉和拉克丝安排成了背负世界的矛盾,背负了一切悲伤的那一方。而担当系列构成的两泽千晶女士说,《DESTINY》应该让身为故事的起点,同时也是另一位主人公的阿斯兰为主轴来展开故事吧,既然如此就应该在ZAFT阵营安置新的主人公,同时让和阿斯兰一样描写的不够充分的卡嘉莉也登场,并安排和基拉的对决……就这样,《DESTINY》的设定骨架就这么定下来了。

我在《SEED》决定制作续集时浮现出的念头是“不创作以基拉为主人公的故事”。即便打倒了劳卢克鲁泽,战争也仍在持续。在充满形形色色正义的这个世界中,将它们一一概括,超越从而抵达下一个价值观,孕育出的新黑幕就是吉尔伯特·迪兰达尔。但是,由谁来打倒迪兰达尔是到最后关头才决定的。唯一定好的大概是“不会是基拉”。制作着动画就会出现“在推动角色时才注意到的东西”。尤其是这部作品是原创动画,有一年的播放期间,最初有个大概的框架。在此之上尝试着,确定好“这个角色是要走这条路”之后再决定由谁来打倒迪兰达尔。

话虽如此,但迪兰达尔所推崇的世界要说是绝对恶,却可能也是要通往和平之路时在现实中的必经之路也说不定。姑且可以看作是好坏参半吧。而对于基拉,也故意削弱了他在《DESTINY》中的行动正当性。虽然具备压倒性的强大,但他的一切也并不是都是正确的。而迪兰达尔视其为危险也应该是可以理解的。就像这样,《DESTINY》是在广义上,由众多人物的视角及想法交织重叠的作品。

——迪兰达尔所肩负的,是要取信于人来实现自己理想这一非常困难的角色。请问为何要请池田秀一来演绎这个角色呢。

因为要演绎具备这种敌友难辨的绝对魅力,在高达的世界里恐怕就只有池田先生了吧。迪兰达尔是从一开始就把角色性和演绎者定好的,能顺利实现真是太好了。在《SEED》的一年里角色们所积淀下来的东西实在是巨大,所以为了能让新角色与他们对峙时演绎出强大,就需要声优的分量与存在感了。但是,迪兰达尔在有台词和没台词时的差异太过激烈,以至于有(被池田先生)请求把每次的台词量分配的平均一点的事(笑)

塔利亚·库拉迪斯一角的小山茉美女士也是一样的角色设计。为了塑造能和玛琉正面决胜负的女性舰长,是由担任音响监督的藤野贞义先生提议,给小山女士发了邀请。

——所以在录音棚里就汇集了池田秀一先生,小山茉美女士这样的《机动战士高达》的出演者呢

让录音棚充满了紧张感,感觉是良性的刺激。虽然也因此,给演绎少年少女角色的声优们带来了压力(笑)。最辛苦的是关于演技的方向性轨道修正。因为《DESTINY》是续集,所以是和“粉丝所期待的人物形象”扯上话题的作品。但是角色们有在故事中被给予的戏份,而知道这些戏份的只有身为制作方的我们,所以不能让声优们被外界的印象所影响,要好好把握角色的本质才行。所以这一轨道修正的工作是每一次都会有的。

特别是和真飞鸟一角的铃村健一先生,还有阿斯兰·萨拉一角的石田彰先生交谈过很多次、给他们说明了阿斯兰是一直在焦虑着,虽然为战斗而疲惫,在那随波逐流,但也拼命的在为寻找自己的归宿与能做的事而努力。阿斯兰赠给卡嘉莉的戒指是有着“大概3000日元左右的便宜玩具”这一设定,在两人之间酝酿出行动与感情的不和谐。为了让这些表现的要素与声优结合起来,果然还是需要给演技作轨道修正。在影像还未完成的阶段就只能依靠我们的制导来进行扮演,所以声优也为了理解我们的指示非常的辛苦吧。

——在真这一角色启用铃村先生,是因为他是《SEED》制作时基拉一角的最终候选人吗?

是的。如果要出新的主人公那就选铃村,大概是这么个流程。虽然真因为设定和强烈的演技导致容易被误解,实际上是非常纯粹善良的孩子。而这样的少年因为憎恨导致变化的那个跃迁过程才是最可怕的,这就是我想赋予他的主人公形象。和史黛拉在一起的他才是原来的他,也许应该在故事一开始就多塑造一些这种感觉才好吧。即便在主要画面中全方面的展现出愤怒,但他也并非是总在发怒的那种单纯角色。而塑造出这种内在正是我们制作方与声优的工作,但并没有那么容易。《DESTINY》在故事上是以真的线,基拉的线,阿斯兰的线为3轴建立起来的,为了不让其中一侧过于突出而取平衡也非常辛苦。

最初不由得想的是,对迪兰达尔开枪的会是真吧。他在故事中的戏份是演绎“纯粹”的可怖之处。他真的是非常率直的孩子,而那份率直则造成了悲剧。换句话说就是,轻而易举的把思考和判断交给他人这种危险的事做了出来。而他本人则认为这样就能保护好世界的和平。所以最后基拉跟他说“我们一起战斗吧”并流泪的场景,或许也仅仅是把迪兰达尔换成了基拉而已,基拉有没有想到那么深,实在令人后怕。真是个有趣的孩子啊。在《DESTINY》中我想表达的东西,在主角三人中是真飞鸟体现的最多吧。

——新角色之中,米亚也非常令人印象深刻呢。

虽然不否认有那种故意为之的角色感(笑)。但启用她的迪兰达尔也好,以及不对这一行为做出责备的阿斯兰也好,都谈不上正义呢。在揭示她是拉克丝的冒牌货时,本来预想迪兰达尔是真黑幕这件事会有更大的观众反响。结果实际上做的有些晦涩难懂,是创作上需要反省的部分。米亚虽是个可怜的孩子,但如果不那么安排,拉克丝就没有讨伐迪兰达尔的理由了。原本拉克丝就不是那种积极行动的角色,在《DESTINY》也和卡嘉莉在戏份上有重复的地方,为了整合故事,让拉克丝出现在表面舞台上,才创作出米亚这个角色,结果变成那种离奇的性格。创作角色真的就像打桌球一样。万一有谁走向了预料之外的方向,就会导致全员受到影响,从这一点能够让人感到创作故事的难处。

对在《SEED》中反复强调的“战争是不行的”这一主题投以反驳,是《DESTINY》最大的主题。

——在机械方面,以“扎古”为首的过去敌方MS被复刻,在商业方面也让高达以外的模型下了很多功夫这一点,也是本作的特征。

因为被告知要在《DESTINY》多卖一些敌方的MS,所以就对负责机械设计的大河原邦男先生直截了当的要求“设计现代风格的扎古”。我个人本来是打算在扎古勇士就收手的,结果后来决定让烈焰老虎(海涅·威尔藤夫斯专用机)登场,既然扎古和老虎都出了,那大魔也得登场了。当时动画作画正是数码化的开端,对了解赛璐璐画时代的我们来说,逐一改变机体的颜色简直是穷凶极恶的行为呢(笑)。而在数码时代则可以相对简单的做到了,所以在本篇中“xx专用机”也多了起来。说到底,相转移装甲的点子本身也是多亏了数码作画的福。结果造成了惊异的换色,边看边想着这下不就成了超级战队类吗(笑)。把模型就这么组装好摆在一起也很有趣,不是挺好的吗。

——在《SEED》评价很高的机械演出,在《DESTINY》也被继承下来,令人印象深刻

最大的原因在于作画人员,特别是自《SEED》以来的主要机械作画监督重田智先生的尽力。说到这里,一提到机动战士高达SEED系列就常会提到华丽的演出,但是MS战斗是打算符合《机动战士高达》的做法来的,所以被评价《很有高达味》对我来说是很高兴的一件事。每当听到“这里特别有SEED味”这样的感想时,我构思的形象和映在别人眼里的形象有意外的不同,虽然也有像自由高达登场那样的新挑战,但我所想的中性化的高达形象是符合当时的感性的吧。而能够顺利表现出来,都是多亏了机械作画人员的努力。非常感谢他们的付出。

——从“对《机动战士高达》的沿袭”而诞生的《SEED》《DESTINY》这两部作品,现在是否成了凝聚了福田监督自己的原创性以及工作观念的系列呢?

自从成为一部作品的监督,做到让自己接受为止的想法时常伴随自己,毕竟一旦问世,自己就必须要一直伴随着它们,如果做出了自己觉得不有趣的作品,那就只剩下苦痛了。所以我现在也能直面自己没有妥协做出了的《SEED》和《DESTINY》。只是,过去了20年之后,我仍有想要从头来过,现在大概能做出更有趣的作品这种心愿留在心里。虽然能接纳,但是一旦满足就做不出下一部作品了呢,

举出具体的反省点的话,大概是想要更好的描绘阿斯兰和卡嘉莉的角色性吧,阿斯兰周围的人物关系和环境实在过于负责,一步走错可能就会变成那种几年后要扔殖民地的角色了呢(笑)最终回之后大概能脚踏实地,找到自己的归宿吧。而真虽然是塑造成了符合主角的人物形象,但逼迫的过于尖刻了,也有想要多描绘一些“善良的普通少年”的痛处在。关于真的有关部分,我也时常有想更仔细的描绘他和露娜玛丽亚之间的关系的想法。然后,在前面也提到的,想把拉克丝的角色性回复到《SEED》的时期,让她更加的“拉克丝”一些,这也是我的愿望。在《SEED》里没能消化的部分和疑问注入进来的作品就是《DESTINY》,对创作者们来说,每天头疼于“要做比之前更有趣的作品“,我也对后面的作品要更有感情一些。

——现在(2023年4月时)正在制作剧场版,不过《DESTINY》在扩大的CE宇宙史里,到底是处于一个什么样的位置呢。

以真,阿斯兰,基拉来举例的话,要使得价值观时常居于中性,是各种意义上都很令人头疼的。因为A国和B国打仗。肯定不能简单的说因为这个所以A国就是坏的吧。如果从俯瞰的角度来审视,就会不明白什么是真实,这是非常恐怖的,靠第三者来单纯的决定善恶绝不是一件好事。

但是,这种恐怖和疑问是可以放置到个人单位上的。《SEED》提倡的是“战争是不行的“,描绘了从类型剧依存中的解放。而对此的反命题,把”这句话就是真实吗?“”无论什么场合战斗都是不对的吗?“”力量真的是没有必要的吗“置换到自己身上,希望大家来思考的这一点,就是《DESTINY》最大的主题。

日文:

絶対的な正義はない。『DESTINY』は広い意味で、多くの人々の視点や思惑が織り重なっている作品です。

『DESTINY』で僕が伝えたかったことは、シン·アスカが一番背負っているのでしょう ——「SEED」続編が制作決定したのはいつ頃でしたか? 放映終了翌年の2004年、5月に開催される静岡ホビーショーへ行く道中の新幹線の中か、夏くらいでしたかね。サンライズの吉井孝幸社長(当時)から聞かされました。その時は「SEED」を劇場版で完結させようという雰囲気でしたが、その後「続編を地上波で放映する」と変わったようです.続編制作については、僕が発案から把握していた感じではありませんでしたね。僕が最初に確認したのは「参加スタッフは誰か」だったと思います。「SEED」で苦労したからこそ出来上がったものもあるのですが、後から「ああしていればあの苦労は回避出来たかも」という部分もあったので。 続編制作決定と聞いて「また戦争か」という気持ちは大きかったです。僕の過去作である『新世紀GPXサイバーフォーミュラ」ならスポーツ大会的なものと抵抗はありませんが、ガンダムのような戦死者が出るジャンルで続編が描けるのか、不安でした。

そこで『DESTINY』は『SEED』へのアンチテ一ゼ(反対の命題)をベースにしようと考えたんです。「SEED」終盤から地続きの続編ではあるけれど、描く世界も価値観も違う。前作の否定から入る構想です。地球連合軍とザフトのどちらにも「正しい戦争」「正しい政治」なんて一方的な正義はない。キラたちだってすべての行いが正しかったとは言いきれないだろう、という切り口からスタ一トしてみました。 ——そこで、 続編ではザフトに所属するシン·アスカを新たな主人公にされたのですね。 はい。「SEED」では最終的にキラとラクスが世界の矛盾、すべての悲しみを背負う側になってしまいました。そこでシリーズ構成の両澤千晶さんは、「DESTINY」では物語の始まりであり、もう一人の主人公でもあるアスランを軸にドラマを展開していこうと.そうなると今回はザフト陣営に新しい主人公を配置して、アスランと同じく描ききれなかった部分のあったカガリも登場させて、キラとの対決を想定して……と、「DESTINY」の設定の骨子が固まっていきました。

僕が『SEED』の続編が決まった時に浮かんだのは「キラを主人公にしたドラマは作れない」です。ラウ・ル・クルーゼを倒しても、まだ戦争は続いている。色々な正義がある世界の中で、それらを総括・超越する次の価値観を突き詰めて生まれたのが次なる黒幕のギルバ一ト·デュランダルです。ただ、誰がデュランダルを倒すのかはギリギリまで決めませんでした。唯-一決めていたのは「キラではない」でしょうか。アニメを作っていると「キャラクタ一を動かして初めて気づくこと」ってあるんですよ。特にこの作品はオリシナルアニメで1年間の放映期間がありますから、最初におおまかな構成を組んだ。上で「こいつはこう生きたいのか」と見極めてから誰がデュランダルを倒すのか決めようと試みました。 かと言って、デュランダルの語る世界も絶対悪かと言えば、平和に至るために現実的に通らなければいけない道かもしれない。賛否両論を呼ぶ存在で良いと思っています。キラも『DESTINY』では行動の正当性をわざと薄めています。圧倒的に強いけれど彼のすべてが正しいわけではない。テュランダルが危険視するのも理解出来るはずです。このように、『DESTINY』は広い意味で多くの人々の視点や思惑が織り重なっている作品です。

——デュランダルは、 人を信用させて自分の理想を実現する非常に難しい役柄でした。池田秀一さんをキャスティングした理由をお聞かせ下さい。 敵か味方かわからない絶対的なカリスマ、そんなガンダムワールドの住人を演じるのは池田さんしかいないでしょう。デュランダルは最初からキャラクタ一とキャストをセットで決めていたので、実現出来て良かったです. 『SEED』の1年問でキャラクタ一たちが作り上げたものは本当に大きく、それに対峙する新キャラクタ一をより強大に演出するためには、やはり声優さんのキャリアや存在感は不可欠です。ただ、デュランダルは喋る時と喋らない時の差が激しくて、毎回のセリフ量を平均的にしてくれと言われたことがあります(笑)。

タリア·グラディス役の小山茉美さんも同様のキャスティングです。マリュ一と同等以上に戦える女性艦長ということで音響監督の藤野貞義さんから提案され、小山さんへオファーしました。

——アフレコスタジオには池田秀一さん、 小山茉美さんという「機動戦士ガンダム」出演者が並び立つことになったのですね。 スタジオに緊張感が出て、良い刺激になったと思います。その分、少年少女役を演じる声優さんにはプレッシャ一をかけましたけど(笑)。一番大変だったのは演技の方向性の軌道修正でした。『DESTINY』は続編ということもあり、どうしても「ファンが望むキャラクター像」が大きく聞こえてくる作品です。ただしキャラクタ一には物語の中で与えられた役目があって、それを知っているのは制作側の我々のみです。声優さんは外からのイメ一ジに引きずられず、キャラクタ一の本質を把握しなければいけない。この軌道修正作業は毎回ありました。

特にシン·アスカ役の鈴村健一さん、 アスラン·ザラ役の石田彰さんとは何度も話したのを覚えています。アスランは常に焦れている。戰いに疲れ、状況に流されてはいますが、必死に自分の居場所と出来ることを探して足掻いている、と説明しました。アスランがカガリに贈った指輪は「3.000円くらいの安物の玩具」と設定してあり、二人の間に行動と感情のちぐはぐさを醸し出します。そういう表現のパーツを声優さんと組み合わせていくためには、やはり演技に軌道修正が必須なんですね。映像も仕上がっていない段階で僕らのディレクションだけを頼りに演じなければいけませんから、声優さんも指示の理解にとても苦労されたと思います。 ——シン役に鈴村さんを起用したのは、『SEED』制作時にキラ役の最終候補だったからでしょうか?

そうですね。新しい主人公が出るので次は鈴村さんに、という流れです。シンは設定や強い演技から誤解されがちですが、本当は純粋で優しい子です。そういう少年が憎しみで変化するギャップこそが本当に怖い、という主人公像にしたかったんです。ステラといる時のシンが本当の彼に近くて、ああいう感じを冒頭からもっと出せたら良かったかな。メインピジュアルで怒りを全面に押し出していても、いつも怒っているような単純なキャラクターではありません。その裏側を作るのがまさに僕ら制作陣や声優さんの仕事なのですが、これがまた一筋縄ではいかない。『DESTINY』は物語においてシンの軸、キラの軸、アスランの軸の3つを柱としていたので、どれかひとつが役割的に浮かないようバランスを取るのも難しかったですね。 最初はデュランダルを撃つのはシンかな、となんとなく感じていました。彼の物語の役割は「純粋であること」の怖さを演じることです。本当はとても素直な子で、その真っ直ぐさが悲劇を呼ぶ。言い方を変えれば、思考や判断を他人に預けてやってはいけないことに簡単に手を染める。本人はそれで世界の平和を守れると信じている。最後にキラから「一緒に戦おう」と言われて涙するシ一ンでも、デュランダルがキラと代わっただけかもしれない、キラはそこまで深く考えているのか、と危なっかしい。面白い子ですよね。『DESTINY』で僕が伝えたかったことは、主役三人の中でシンが一番背負っているのでしょう。

——新キャラクターの中では、ミーアも非常に印象的でした。 ネタキャラ感があるのは否めないのですが(笑)。彼女を起用しているテュランダルも、このやり方を責めないアスランもまた、正義ではありませんよね。彼女がラクスの偽物と明かされた段階で、デュランダルが真のフィクサーともっと騒がれるかと予想していました。ちょっとわかりにくかったのは作劇の反省点です。ミーアは可哀想な子でしたが、あの展開でなければラクスがテュランダルを討つ理由がなくなってしまいます。もともとラクスは能動的に動くキャラではなく、「DESTINY」ではカガリと役割が重なるところも出てきました。物語の整合性を取り、ラクスを表舞台に出すためにミーアが生まれて、結果あのようなエキセントリックな性格になったのかと思います。本当に、キャラクター作りって玉突きゲームなんですよ。誰かが予想外の方向に行くと全員が影響を受ける。物語づくりの難しさはこの点だと実感します。 「SEED」で繰り返してきた「戦争はいけない」へアンチテーゼをぶつけることが、 「DESTINY」最大のテーマです ——メカ面では、 「ザク」をはじめとする往年の敵モビルス一ツがリファインされ、商業面でもガンダム以外のプラモデルが大きく展開されたのが本作の特微だと思します。

「DESTINY」では敵モビルス一ツのブラモデルを売りましょう、と言われたのでメカニックデザインの大河原邦男さんへ「現代風のザクを」と直球でお願いしました。僕個人はザクウォーリアで終わるつもりでしたが、グフイグナイテッド(ハイネ·ヴェステンフルス専用機)の登場が決まって、ザクとグフが出るならドムも出すしかない、となって。当時はアニメ作画がデジタル化して間もない頃で、セル画時代を知っている僕らにとってロボの色を逐一変えるなんて極悪非道な所業だったんですよ(笑)。それがデジタルでは比較的簡単に対応出来るようになり、本編で「〇〇専用機」を多用するようになりました。そもそも、フェイズシフト装甲のアイディア自体がデジタル作画の恩恵ですから。結果的には驚異的なカラバリが生まれ、そのうち戦隊モノになってしまうと思いながら観ていました(笑)。プラモデルをそのまま組んで並べても楽しいので、良いんじゃないかな。 ——「SEED」で評価が高かったメカ演出が、「DESTINY」でも引き継がれたのが印象的でした。 作画スタッフ、特に『SEED』からのチ一フメカ作画監督である重田智さんが尽カして下さったのが一番大きいです。ところで機動戦士ガンダムSEEDシリ一ズと言えば派手な演出、と評されることも多いですが、モビルス一ツ戦は「機動戦士ガンダム」の作法を守っているつもりなので「ガンダムらしいです」と言われる方が僕個人は嬉しくなります。「ここで特に「SEED」らしさを感じました」というような感想を聞くと、僕の意図しているイメ一ジとほかの方に映るイメ一ジが意外と違うんですよね。フリ一ダムガンダムの登場演出のように新しい挑戦はしますが、僕が抱くニュ一トラルなガンダムのイメ一ジが当時の感性にフィットしたのでしょう。それを上手く表現してくれたのは、ひとえにメカ作画スタッフのカです。本当にありがとうございます。 ——「『機動戦士ガンダム」の踏襲」から始まった『SEED』と『DESTINY』の2作品ですが、今や福田監督自身のオリシナリティや仕事観が凝縮されたシリ一ズとなったのではないでしょうか?

一作の監督をするからには、自分なりに納得するまで作り込みたい気持ちは常にあります。一度世に出した作品とはずっと付き合っていかなければいけませんから、ここで自分が面白いと思えないものを作ってしまったら苦痛でしかありません。ですから、僕は妥協せず作った『SEED』と『DESTINY』には今でも向き合うことが出来ます。ただ、20年経った今もやり直したいこと、現在ならもっと面白い作品が作れるのではという積み残しはあります。納得はしたいけど、満足してしまったら次が作れないのですね。 具体的な反省点として、一番はアスランとかカガリのキャラクターをもっとちゃんと立ててあげたかったことです。アスランは周りの人間関係や環境が複雑になり過ぎて、一歩間違えたら数年後にコロニ一落としをするようなキャラクタ一になってしまった(笑)。最終回後はきちんと落ち着いて、自分の居場所を見つけていくと思います。シンは主役らしくキャラクターが立ったと思うんだけど、突き詰めすぎてしまい「優しい普通の少年」の面をもっと見せてあげたかった悲しさもあります。シン絡みだとルナマリアとの関係も丁寧に描き直したい気持ちは常々ありますね。後、これも先程触れましたが、ラクスのキャラクタ一を「SEED」の頃に戻してラクス「らしく」したいのが心残りです。『SEED』での食い足りない部分や疑問点を注ぎ込んだのが『DESTINY』です。作り手側はいつも「前より絶対に面白いものを」と日々苦心しているのですから、僕も思い入れはより新しい作品の方が大きいです。 ——現在 (2023年4月時点)は劇場版を制作されていますが、『DESTINY』は拡大したコズミック·イラ宇宙史において、どのようなボジションにある作品でしょうか?

シン、アスラン、キラの三人を例に、価値観を常にニュ一トラルにしておかないといけないというのは、色々な意味でしんどいことです。A国とB国が戦争をした。こういう理由だからA国が悪い、と一概に言えないのですから。俯瞰で眺めると何が真実かわからなくなるのはとても怖いですし、第三者が単純に善悪を決めて良いことでもありません。 ただ、その怖さや疑問を個人単位に落とし込むことは出来ます。『SEED』では「戦争はいけない」と言い、カテゴリ一依存からの離脱を描きました。それに対するアンチテーゼ、「その言葉は真実なのか?」「どんな場合でも戦ってはいけないのか?」「本当に力は必要ないのか?』を自身に置き換え、考えて欲しいのが『DESTINY』の最大のテ一マです。

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